2006年09月29日
荷物、鮮魚列車の車両
私が物心ついた頃、近鉄の旧型車に興味を持ち、拙いながらも写真に残していたので発表させてもらいます。
当時(1976年頃)、近鉄大阪線の旧型車達は名古屋線に移って行った2250系を除いて一般営業車からは引退し、一部車両が電動貨車や救援車として僅かに残るという状態でした。
私が記録を始めた1976年春頃は、ちょうどモ1400、モ2200がモワ10に、ク1500がクワ50にと改番されはじめた頃でした。


手元の記録をみると、4月頃から改番車が鮮魚列車や荷物電車に使用されはじめ、6月末頃には改番を終えているようです。
その中で2200系のモ2237と、ク1320形ク1321だけがそのまま使用されてましたが、モ2237は1977年2月にモワ22に改番(二代目、元のモワ22=モ2233は改番と同時に廃車、高安工場入換車に)されてしまい、長い2200系の歴史に終止符が打たれてしまいました。

上の写真は通常4連の鮮魚列車が、名古屋線で活躍中の2250系を加えた6連で走る姿。まるで少し前の宇治急のような編成だが、2250系の高安への回送を兼ねて、時折このような編成を見かけました。
当時(1976年頃)、近鉄大阪線の旧型車達は名古屋線に移って行った2250系を除いて一般営業車からは引退し、一部車両が電動貨車や救援車として僅かに残るという状態でした。
私が記録を始めた1976年春頃は、ちょうどモ1400、モ2200がモワ10に、ク1500がクワ50にと改番されはじめた頃でした。
手元の記録をみると、4月頃から改番車が鮮魚列車や荷物電車に使用されはじめ、6月末頃には改番を終えているようです。
その中で2200系のモ2237と、ク1320形ク1321だけがそのまま使用されてましたが、モ2237は1977年2月にモワ22に改番(二代目、元のモワ22=モ2233は改番と同時に廃車、高安工場入換車に)されてしまい、長い2200系の歴史に終止符が打たれてしまいました。
上の写真は通常4連の鮮魚列車が、名古屋線で活躍中の2250系を加えた6連で走る姿。まるで少し前の宇治急のような編成だが、2250系の高安への回送を兼ねて、時折このような編成を見かけました。
2006年09月29日
鮮魚列車のこと
近鉄には他社には余り例をみない列車、「鮮魚列車」 が上本町ー松阪間に運転されています。結構古くから運転されている列車だが、現在は元急行型の2680系が専用車として使用されています。
私が物心のついた頃(1976年頃)は、当時の一般車である1400系や2200系といった車両達が、


荷物電車との共通運用で使用されていました。
その頃は新青山トンネルも開通して、大阪線から旧型車が一掃されようとしている頃であったが、唯一営業列車として新青山トンネルを抜ける旧型電車は貴重な存在でした。
左写真はモワ22(元参急2227型モ2237)を先頭にした松阪行き、右写真はク1322(元奈良電デハボ1350型)を先頭にした上本町行きです。
私が物心のついた頃(1976年頃)は、当時の一般車である1400系や2200系といった車両達が、
荷物電車との共通運用で使用されていました。
その頃は新青山トンネルも開通して、大阪線から旧型車が一掃されようとしている頃であったが、唯一営業列車として新青山トンネルを抜ける旧型電車は貴重な存在でした。
左写真はモワ22(元参急2227型モ2237)を先頭にした松阪行き、右写真はク1322(元奈良電デハボ1350型)を先頭にした上本町行きです。
2006年09月26日
2006年09月25日
2006年09月21日
2006年09月18日
続、ビスタカーのこと
新ビスタカー10100系には非貫通、貫通と2種類の顔があり、そのどちらも良くまとまったデザインだなと思う。一般的には流線型の非貫通タイプ、それも前パンのA編成が人気だとは思うが、個人的には前面展望にも優れた貫通タイプも相当魅力的だと思うがどうでしょう?

戦前の名車、2200系を彷彿させる特徴的なウインク・スタイルは、先代の10000系貫通タイプの、中間車然とした顔に比較して格段の進歩ではないでしょうか。
ただあの特徴的な星型特急マーク、あのサイズで電照タイプ。子供心にも着脱は大変だろうな、と思っていたら、同タイプの新、旧エースカーはやはり別のものに交換されてゆきました。


しかし本家の10100系は改造されることなく廃車されてしまいましたが、更新されたタイプも少しは見てみたかった気もします。
戦前の名車、2200系を彷彿させる特徴的なウインク・スタイルは、先代の10000系貫通タイプの、中間車然とした顔に比較して格段の進歩ではないでしょうか。
ただあの特徴的な星型特急マーク、あのサイズで電照タイプ。子供心にも着脱は大変だろうな、と思っていたら、同タイプの新、旧エースカーはやはり別のものに交換されてゆきました。
しかし本家の10100系は改造されることなく廃車されてしまいましたが、更新されたタイプも少しは見てみたかった気もします。
2006年09月17日
ビスタカーのこと。
少し前に近鉄ビスタカーの模型製品化が、Nゲージの量販メーカーであるKATOとアリイから発表された時、正直「何故に今頃ビスタカー?」と思ったものだ。昔から人気、実力とも高く評価されてた名車であるが、タイミング的には遅すぎではないのと感じたからだ。

まあ人気車両といっても私鉄電車、連接車両、現車無しという状況では、「よくぞ出してくれました!」と感謝するべきところなんだろうけれど‥ しかし保存されなかったのは今でも解せない。
個人的には初代ビスタの10000系は一度も実車を見たことがないが、二世の新ビスタは当時沿線に住んでいた事もあり、まさに憧れの特急車両でした。だが通常はワンユニットの3両編成や、一般特急車との併結で走る事が多く、稀に全盛時代を彷彿させる6両編成を見かけると何故か得した気分になったものでした。それが引退に際してABCフル編成によるお別れ運転が何度か行われた時は、
友人達(当時鉄友はクラスに結構いた)と体験乗車したり、沿線に撮影へと繰り出してました。

まあ人気車両といっても私鉄電車、連接車両、現車無しという状況では、「よくぞ出してくれました!」と感謝するべきところなんだろうけれど‥ しかし保存されなかったのは今でも解せない。
個人的には初代ビスタの10000系は一度も実車を見たことがないが、二世の新ビスタは当時沿線に住んでいた事もあり、まさに憧れの特急車両でした。だが通常はワンユニットの3両編成や、一般特急車との併結で走る事が多く、稀に全盛時代を彷彿させる6両編成を見かけると何故か得した気分になったものでした。それが引退に際してABCフル編成によるお別れ運転が何度か行われた時は、
友人達(当時鉄友はクラスに結構いた)と体験乗車したり、沿線に撮影へと繰り出してました。
2006年09月16日
阪和、大和路も今が旬。
2006年09月14日
103王国
自慢ではないが家の近所は今103系をウォッチングするには抜群の環境だ。大和路線のウグイス色は勿論のこと、環状線のオレンジ色も朝夕快速運用で頻繁にやってくる。またちょっと足を伸ばせば阪和線のスカイブルー色も、という所に住んでいる。これが最近は本線筋の321系投入に伴う、環状線への201系の転入、阪和線への205系の転入等で、少々事情が変わってきてしまった。
大和路線にも201系の姿をよく見かけるようになって、最近はホーム端なんかで撮り鉄をよく見かけるようになったと思う。

環状線への201系転入ペースも進み、オレンジ、スカイブルーの混在もしばらくは続くとの事。また103系自体の変動も激しい。それに加えてラッピング車も数多く存在するから記録する方もホント大変だ。でもこの賑わいもいつまで続くことやら‥

大和路線にも201系の姿をよく見かけるようになって、最近はホーム端なんかで撮り鉄をよく見かけるようになったと思う。
環状線への201系転入ペースも進み、オレンジ、スカイブルーの混在もしばらくは続くとの事。また103系自体の変動も激しい。それに加えてラッピング車も数多く存在するから記録する方もホント大変だ。でもこの賑わいもいつまで続くことやら‥
2006年09月14日
ヤマから来た機関車
何気なく撮影した写真が、後で貴重な記録になる事がある。逆にいつでも撮れると思っていたら、結局後で後悔する事態に陥る事もまた多い。まあ私の場合は断然後者のケースだが‥
関西に住んでいた私にとって、あまりなじみの無い機関車といえば、赤い交流電気と、いわゆるヤマ線用のEF62,EF63といった機関車でした。
それが東海道、山陽本線からEF58が定期荷物列車から退役するにあたって、EF62が後を引き継ぐと聞いた時は結構驚いたのを思い出す。
しかし当時としてはやはりEF58の方が、被写体として優先度が高かったのは否めない。
しかしEF62自体の活躍も短期間で終了してしまい、私自身鉄道写真から興味が薄れていた時期なので、まともな記録も残せぬままで終わったのはホントに残念でしかたない。
挙げた写真は唯一手元に残っていた、東海道本線で活躍するEF62の姿です。
しかし、違和感あるなぁ‥
関西に住んでいた私にとって、あまりなじみの無い機関車といえば、赤い交流電気と、いわゆるヤマ線用のEF62,EF63といった機関車でした。
それが東海道、山陽本線からEF58が定期荷物列車から退役するにあたって、EF62が後を引き継ぐと聞いた時は結構驚いたのを思い出す。
しかし当時としてはやはりEF58の方が、被写体として優先度が高かったのは否めない。
しかしEF62自体の活躍も短期間で終了してしまい、私自身鉄道写真から興味が薄れていた時期なので、まともな記録も残せぬままで終わったのはホントに残念でしかたない。
挙げた写真は唯一手元に残っていた、東海道本線で活躍するEF62の姿です。
しかし、違和感あるなぁ‥
2006年09月13日
30年前の塚本。
2006年09月12日
最初が肝心というが。
とりあえずは初めてみたものの、最近は仕事に追われてあんまり撮影には出かけてない。当然のっけるような写真もない。
しかし暇をみつけてはポジの整理を兼ねて、スキャンしながらのお蔵出し。これは楽しい。大掃除を始めたら、古い雑誌やアルバムに見入って中々進まないのに似ている。
撮り鉄なら小、中学生の頃は、やっぱり身近な駅撮りから入る人が大半だとは思うが、私の場合は東海道線の山崎周辺の写真が昔からかなり多い。昔から雑誌にも掲載されていて、駅から近く本数や種類が他を圧倒するものがあったからだろう。
その当時(1980年前後)からあまり変わらない姿で頑張っているのが
485系の雷鳥。まもなく姿を消すのだが、当時の撮影対象としては、あまりに数が多すぎてそんなに重視してなかったのは事実。自分の中ではボンネット車が消えた時点で、時代が終わった感が強かったのだが、でも消えるとなったらやっぱり寂しい‥
しかし暇をみつけてはポジの整理を兼ねて、スキャンしながらのお蔵出し。これは楽しい。大掃除を始めたら、古い雑誌やアルバムに見入って中々進まないのに似ている。
撮り鉄なら小、中学生の頃は、やっぱり身近な駅撮りから入る人が大半だとは思うが、私の場合は東海道線の山崎周辺の写真が昔からかなり多い。昔から雑誌にも掲載されていて、駅から近く本数や種類が他を圧倒するものがあったからだろう。
その当時(1980年前後)からあまり変わらない姿で頑張っているのが
